社会的成功者たちの言う引きこもりを治す!は偽善と欺瞞に満ちている
引きこもりに関連したフォーラムには大きく分けて2種類がある
一つは、社会的に成功している人とか政治的右派とか意識高い系の人たちによって構成されるもの。これは「絆」「元気」「仲間」「成功」といったキーワードに関連するものだ。
そしてもう一つは政治的に左派に属する団体とか、福祉分野とか、当事者などによって構成されるもの。こちらは「学校は行かなくていい」「ありのまま」「金儲け主義はダメ」といったキーワード。
これまで不登校や引きこもりなどの当事者として苦労してきたり、指導する側の立場になってみてきた経験から言うと、このどちらも結局本人のためになってないし当事者不在でイデオロギー化してませんか、と思う。
今回は前者である「絆」みたいなやつ大好きパターンの支援の在り方について少し意見を述べたい。
キズナマンは当事者からはただの偽善者に見えている
「絆」「仲間」という学級会的なよい子像を求められすぎてパンクした人間からしたらあんなものはすべて嘘っぱちだと思えるものだ。以前、黒子のバスケ事件で逮捕された男性がまとめた文章もその虚構を見事に喝破している。
その文章はこちらで読める。
「黒子のバスケ」脅迫事件 最終意見陳述集
https://note.mu/t_17_kuma/m/m64d05a7b3216
その中に、
「キズナマン」はもちろん「絆」という言葉から作った造語です。「絆」は動物をつなぎ止める綱が語源ですからイメージには合っています。自分は「絆」という言葉が嫌いです。東日本大震災後にやたらとメディア上に氾濫するようになった言葉です。自分はこの氾濫現象に美しいイメージのばらまきで問題山積みの現実と問われるべき責任を糊塗しようとする意図を露骨に感じます。いかにもマーケティングを駆使した大手広告代理店の手法のように自分には思えます。本来の「絆」とはマーケティングの対極に位置するはずのものです。そのような「絆」でさえ大資本の商売に都合よくねじまげられてしまう現状に自分は物凄く腹が立つのです。
などとある。彼は育つ環境が健全に機能して社会的に存在を受け入れられていると感じている人間と、そうでない、つまり、自分の存在が社会に受け入れられると信じることができなかった成育歴を持つ人間の違いについて語っている。その中で引用したところで示しているように、絆という言葉の持つイメージは悪く、またその力を信じていない。
実は筆者もそれに近い感覚を持っている。筆者の周りには、大変ありがたいことにとても強い信頼関係でつながっている友達や上司、顧客、趣味仲間などでがっちり固められてはいるものの、安易に絆とかつながり大事だよねとか言ってくる人は信用していないのだ。だからそうした「絆」が大好きなタイプが多く存在するであろう地元にも愛着を持てずにいるし、商工会議所、青年会議所、異業種交流会などいろんな場があっても自分が明確な目的を見いだせなかったらそこにいることができないのだ。
顔が広いということはひとつの才能や努力の結果だし、それが疑いなくできる人間はすごいと思うが、はっきり言って人脈を誇るところから入ってくるような人間はほとんど信用していない。「友だちの友達が有名な人でね」「交流会で忙しいんですわー」みたいな人ね。
例えば小学校などでいじめられたり、家庭で虐待されたり親からの愛情がうまく伝わっていないと、学級目標の「いつも元気で仲良く明るい子」みたいなスローガンが実に空虚に見え、そこにいることがばからしく感じるものである。
だからこそ、私と深いお付き合いをしている仲間との関係性はとても貴重なものだといつもかみしめている次第である。絆というのはスローガンにするものでも目的にするものではなく、関係性の中で自然と時間をかけて作られていくもので、人に見せびらかすもんじゃない。頼むから社会から落ちこぼれたと指さされている人たちにその本当の意味で貴重な絆を安売りして「やっぱり人間社会はダメだ」なんて思わせるような最近の風潮は本当にやめてほしい。
そもそもお前らの価値観を押し付けたから引きこもったんだろという話
で、キズナマンたちによる引きこもり支援の在り方のやばさというのは、父性主義、つまりパターナリズムによるおしつけがましさと、「引きこもりサイドが間違っているのが前提で社会的に認められている我々のほうが正しいからそっちに導いてやる」という社会的立場がある側からのマウンティング。
すると当事者は、またあのばかばかしいなかよしごっこに付き合わなきゃいけないのか、社会というのはろくなものじゃないなと絶望するだけだ。
多様性とか文化共生社会とか言う割には、おとなしい子とか内向的な人にとってこの社会はとにかく生きづらいのである。多数派の論理が嫌になって引きこもったのになぜ今更そういう生き方を求められなければならないのか。もっと教えるべきことがあるだろう。
居酒屋甲子園とかをさんざんディスったことがあるが、今でもその考え方は変わらない。好きな人はやってりゃいいけど、ツイッターとかで引きこもりに近い価値観の人たちのリアクションを見ればわかるだろう。ただのブラック企業にしか見えない。NHKがポエム化する労働、みたいな特集を組んでたが、もう一度言う、NHKのあの取材姿勢はとてもよかった。
感動の押し売りなんてクソだ。
感動の押し売りばかりやってる人間はマズローの欲求五段階説をしっかり読むべきだ。お前らのいるポジションとこれから引きこもりから脱出しようとしている人間の欲求はそもそも違うんだぞ、ということを理解していないと溝が深まり、国から貴重な労働力が失われる。マクロ目線でもミクロ目線でも碌なもんじゃない。学園祭ではしゃぐ奴もいれば、参加したがらなかった奴もいたじゃないか。それを無理やり参加させても全然楽しくない。それともこの国は全体主義か?
キズナマンが楽しいと思うことと、引きこもりが本来楽しいと思うことは全然違ってたりする。そういう想像力のないバカがマウンティングすればするほど不幸なすれ違いが続く。
お給料で何かうまいものを食ってみる、服を買ってみる、親にたこ焼きを買って帰る、そういうことでいいじゃないか。
自分なりの社会とのかかわり方を模索すればいい
綺麗ごとはいらない。食うために社会とのかかわりを模索する必要性を理解し、人と信頼関係を作るということを淡々と日々の行動から積み上げていくのみだ。会社員じゃなくてもいい。この頃はゆるい起業と言われてたりするが、自分の得意なことで個人事業主として細々と生きていくというやりかたも徐々に確立しつつある。プログラムが得意なら在宅で起業している人もたくさんいる。単価は安いがランサーズなどで仕事を請け負ってもいい。インターネット様様である。
副業を認める企業も増えてきた。時短勤務と自分の好きな仕事の組み合わせ、これは私も取り組んでいる働き方だ。不安定というが、正社員の友達の会社は今にもつぶれそうで、転職先を探している。私は非正規というか、非常勤講師だが、勤務先は盤石で成長中だし、人間関係も非常に良好。今後の展開に必要な人間に成長していくことで今後もきっといい関係を続けられる。そしてその経験はつぶしが利くので万一の時にもそのまま別の展開につないでいけるだろう。ほかの講師の先生方も複数の仕事と収入源を確保しているし、自由度の高い立場なのでストレスをいなしやすい。若い人と話ができるのもいいところだ。
会社におんぶにだっこではどのみち生き残れないし、自分のできることを増やしていくしかない。親のアドバイスなんか何の参考にもならない時代だ。バブル世代の言うことなんかどうでもいい。今を生きろと言いたい。
仕事の楽しさとは自分で見つけるから尊いのだ。社会とかかわることをあきらめた人たち同士でなにか仕事になることはないか、と考えるのもいいかもしれない。たとえば、今の時点ならハンドメイドのものもメルカリとかならたくさんの人に見てもらえるし、買ってもらえるチャンスがある。顔を合わせなきゃいけないのは宅急便の人か、コンビニの店員だけである。引きこもっていても、お小遣い稼ぎくらいはできるのが今の日本だ。そこから出発してもいいじゃないか。
上手に世の中の仕組みを使って、自分らしく生きる方法を模索していくことが大事だと思う。そのためには、日々勉強しなきゃならんけど、自分の興味のあることならきっとやれるだろう。
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