【不登校の君の人生を切り開く方法1】学校に行かなくていいor行かなければいけない?その1

今、まさに学校に行きたくない、いけなくなった、そういう人に向けて、いくつかの段階に分けてシリーズとして書いていこうと思っている。私は教育者として、君たちの数十年先を生きた先輩として、そして同じフラットな人間として、包み隠さず思うところを子供扱いすることなく伝えていきたい。

そもそも不登校はいいのか悪いのかという話

学校なんて行かなくていいんだよVS行かないと将来大変だよ

不登校というものはそもそもそれ自体がいいか悪いかを論じること自体無意味であり、そもそも不登校という状態に陥った原因や要素について検討すべきであって、不登校に良いも悪いもない、というのが私の考えだ。なぜそう考えるようになったか。

まず、不登校は良くないという考え方では学校サイドがいじめを黙殺してしまっていたり、個々の得意苦手に対処しきれなかったり、あるいは濃すぎる人間関係によるトラブル、そういった原因を追及することを放棄してしまうからだ。次に、積極的に不登校を学校が間違っているからむしろ良いとばかりに肯定するのは、はっきり言って間違っていると思っている。現実問題として十分な教育を受けていないということはその後の人生の選択肢を広げきれないという厳然たる事実がある。

その代替となる手段は各自でどうにかするしかない。それができるように支援するのが大人の勤めではあるが、だからといって集団で大人まで学校アレルギーになってしまっては、最終的に社会と関わりを持つ当事者にとって学校に通っていた人達と関わるときに猛烈な逆風を感じることになるからだ。そのあたりも今後丁寧に書いていこうと思う。

 

まず、学校に行かなければならないという思い込みを捨てる

ある日突然学校に体が向かわなくなってものすごい硬直を体験した

私は自分が不登校になるとは全く思っていなかった。詳しくは別の機会に書くが、小学校まで順調そのもの過ぎてむしろブレーキを踏んでいたのに中学校で一気に変化する環境、そして家庭内の変化に耐えられず気合で空回りし続けてた結果ぶっ壊れてしまった。朝起きて、学校のジャージに袖を通すが、どうにも震えて涙が出て、それをこらえながら何日か登校していたが、ある日、本当に動けなくてだめだった。その時思ったのは、「親に怒られる」だった。親に怒られるということが、その当時の自分にとって最大の関心事でありプレッシャーだったのだ。学校に行かないことはすなわち「敵前逃亡」であり、割とマジで義務教育というのは映画「スターリングラード」に出てくるソ連兵のように、敵の攻撃にひるんで退却しようとすると後ろから督戦隊という味方の敵前逃亡を監視する部隊から撃ち殺される、そういうイメージでいた。まず、そういう脱落の恐怖と戦わなければならなかった。体が完全に拒否して猛烈な吐き気や頭痛、しかしこれで人生終了で腹を切って詫びるしかない、位の究極の選択だった。90年代中盤はまだ不登校と言わず、登校拒否という言い方が一般的に使われていたように思うが、まだそうした不登校からおとなになってどうなった、というモデルケースなどもシェアされておらず、学校に行かないということは教育を受けない、つまり学歴社会の日本においての緩やかな自殺行為である、そう思っている人は多かったように思う。

親が現実を受け入れてくれることでようやく自分が不登校を受け入れる覚悟をした

まず、その日から3日ほど休むということで親子で話し合い、そのままずっと部屋に引きこもっていた。驚いたことに(?)、猛烈に反発すると思われた父は母を通して「何年行かなくても構わないからとにかくゆっくり休め」と伝言した。これでとにかく自分は生きることを許された、位に思っていた。私はその点ラッキーと言うか、家族の理解を得られることに苦労せずに済んだが、数年単位での不登校状態であっても親からの執拗な学校に行かないことに対するなじりに苦しむ人も少なくない。20年前と比べてこれだけネットで復活例、対処法、支援策がシェアされているにもかかわらず、だ。教員としても、心苦しいケースをいくつか見てきた。

それらの根源は漠然とした不安からくる思い込みだ。

学校に行けない、じゃあ行かせよう、ではなんの解決にもならない。

まず学校に行けないならまあ当分は行かない、さてその間どうしよう、そこが切り替えのスタートだ。比較的元気なら勉強やその他やりたいことに没頭したらいいし、家族で旅行にでかけたっていい。家族関係をじっくり見直したり、自分たちの生き方や価値観を考えるまたとない機会かもしれない。現実は学校に行けない状態なのだから、他の手段で生きていく方法を考えるしかないのだが、行かなければいけないものだ、という思い込みがあるとなかなかそうは行かないのだ。

ちなみに、義務教育なので云々というのは事実誤認なので論外とする。行く義務ではなく教育を受けさせる義務であって、これは子供から教育の機会を奪ってはならない、という意味なので不登校だからといって本人はもちろん親も責められるいわれはない。

学校に行かなかったから将来に大きく悪影響するということはないです

不登校経験者でも、大学に進学したり、パートやアルバイトから正社員、はたまた経営者、いろんな働き方(=社会との接点)をして自分の居場所を世の中に作ることに成功している例がたくさんある。不登校が問題になることはない。問題は、自分で自分の脳力を育てたり、社会との接点を持つ行動を取るか、取らないか、である。やっぱり、どんな形であれ、自分にあった勉強は必要だし、働く、人と関わるという経験値を積み上げていくことは後の成長のために必要になってくる。しかし、今それを焦る必要はない。どうしても学校に行けないのなら、それは行ける健康状態ではないのだから、思い切って休んだほうがいい。そして行かないまま通すという選択肢もまたある。それは、自分にとって安心できる環境を自ら作るという作業であり、決して負けでもないし、むしろ前向きな判断だと考えたほうがうまくいくだろう。

人間は本来好奇心と成長意欲が備わっている。それがないと生きていけないからだ。この意欲というものを引き出すには、小さな目標達成の積み重ね、そして他者との関わりで成功体験を積むことを続けることが重要になってくる。

 

次回は不登校経験者が大人になったときどうなるか、について述べる。

【不登校の君の人生を切り開く方法1】学校に行かなくていいor行かなければいけない?その1

【不登校の君の人生を切り開く方法1】学校に行かなくていいor行かなければいけない?その2

【不登校の君の人生を切り開く方法1】学校に行かなくていいor行かなければいけない?その3

【不登校の君の人生を切り開く方法1】学校に行かなくていいor行かなければいけない?その4

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です